3年生 7月号「僕が教師になった理由」
数十年前の11月、大学時代の友人から電話がなった。
「いきなりで驚くかもしれないけど、A君が昨夜亡くなった。」
私は言葉が出なかった。虚をつかれて頭が真っ白になった。A君とは、私の大学時代の親友である。二人で仲良く勉強したし、よく飲みにも行った。そのA君が23歳という若さで、しかも突然この世を去ったのである。
電話の中で沈黙が続いた。しばらくして、やっと私の口から言葉が出た。「どうして?」たった4文字の言葉だけど、なんとかしてしぼり出した言葉だった。友人の話によれば、もともと先天性の病気をかかえており、20歳のときにその病気が発病した。そして、3年後の23歳で亡くなったということだった。
電話を切っても、しばらくは何も考えられなかった。
ただ、昔のことだけが思い返されてきた。
A君はよく自分の夢を語ってくれた。
「俺は大学を卒業したら、絶対に先生になるんだ。そして、生徒から慕われる金八先生みたいになりたいんだ。」
今になって考えてみると、そう言ったA君はすでに自分の病気のことを知っていた。
いつ自分がこの世から、いなくなるかも、おそらく知っていた。
自分が生きられる時間は限られているのに、自分の夢に向かって、まだ見ぬ生徒のことを思って、教師になることに命をかけたのである。
自分が3年後にこの世からいなくなるとわかっていながら、病気の治療もせず、自分の夢を追いかけられる人は、いったいどれだけいるだろうか。
しかも、まだ20代という若さで。
親友だったA君と共に教員採用試験を受験し、A君は群馬県、私は福井県に採用された。合格に喜びながら、3月に私たちは大学の卒業式をむかえた。そして、お互いに先生としてがんばっていた11月に、その電話があったのである。
もう、数十年がたつ。
A君という親友をもてたことを私は今でも誇りに思っている。彼のような情熱を持ち、彼の生き方に近づきたい。私は、A君にはまだまだ追いつけないが、いつの日かA君に顔向けできるような教師になりたいと思う。
夢に向かって全力疾走したA君を追いかけて。